教育実習は「完璧な実習簿」を作るためのものなのか
公開日 · 2026/06/07
トピック
はじめに
私が履修した年度・課程で教育実習に参加して、強く感じたことがあります。
それは、実習簿の運用が、教育実習の本来の意義と合っていないのではないかということです。
教育実習は、本来、学校現場でしか学べないことを学ぶための機会だと思います。授業を参観し、教師の発問や板書、生徒・児童の反応、教具の使い方、授業全体の流れを観察する。授業後には指導教員と話し、自分の課題を見つけ、研究授業や日々の生徒との関わりに生かしていく。
現場にいるからこそ得られる学びがあります。
しかし、実際には、実習簿を書くこと自体が大きな負担になっていました。
また、私を受け入れてくださった実習校には本当に感謝しています。この記事で書きたいのは、その学校への不満ではありません。教育実習で本当に大切にすべき時間が、実習簿を整える作業によって削られてしまう構造への違和感です。
実習簿は、学びを残すためのものだと思います
実習簿そのものが不要だとは思っていません。
教育実習では、日々の授業参観、実践、振り返り、指導教員からの助言を記録しておくことが大切です。記録があるからこそ、あとから自分の学びを整理できます。自分が何を見て、何を考え、どこでつまずいたのかを振り返ることもできます。
特に授業参観では、ただ授業を眺めるだけでは不十分です。
- どのような発問があったのか
- 板書はどのように構成されていたのか
- 生徒・児童はどのように応答していたのか
- 教具や資料はどのように使われていたのか
- 授業者は何を、どの順番で、どのように教えていたのか
こうした点を具体的に記録することには意味があります。
しかし、問題は記録すること自体ではありません。
問題は、その記録をどのような形式で求めるのかです。
手書きかつボールペン指定は、現場の観察と相性が悪いです
私が履修した年度・課程で特に疑問に感じたのは、実習簿を手書きで、しかもすべてボールペンで記入しなければならないという要件です。
授業参観の記録は、基本的にリアルタイムの記録です。
授業者が板書を追加することもあります。途中で順番を変えることもあります。生徒の反応によって発問が変わることもあります。想定していなかった応答が出て、授業の流れが少し変わることもあります。
学校の授業は、最初から最後まで固定された台本のように進むものではありません。
そのような場面で、実習簿にボールペンで直接、きれいに、訂正なく書くことを求められると、かなり無理があります。
たとえば、授業者が板書を修正した場合、実習簿側も修正しなければなりません。ボールペンで書いている以上、消すことはできません。訂正印を使って直すか、最初はシャープペンシルでメモを取り、あとからボールペンで清書することになります。
しかし、そうなると、実習生は授業を見ているのか、実習簿をきれいに作っているのか分からなくなります。
本来であれば、生徒の反応を見たい時間があります。授業者の発問の意図を考えたい時間があります。板書がどのように授業の流れを支えているのかを観察したい時間があります。
それなのに、実際には「これをボールペンでどう書けば訂正せずに済むか」「あとから清書できるようにどうメモを取るか」を考える時間が発生します。
これは、教育実習の学び方として本末転倒ではないかと思います。
清書のための時間が、実習の時間を削っていきます
この問題は、授業参観の記録だけではありません。
授業後の感想、毎日の日報、研究授業に向けた振り返りなども、実習簿に書く必要があります。そして、そこでもボールペンでの記入が求められます。
もちろん、多少の誤字や修正を気にせず書けるのであれば、まだよいのかもしれません。
しかし、提出物として残る以上、訂正印だらけの実習簿にすることは避けたいと考えます。結果として、下書きを作り、それを清書する作業が発生します。
この清書の時間は、決して小さくありません。
教育実習中は、ただでさえ時間が足りません。授業参観があります。授業準備があります。研究授業の指導案を書かなければなりません。教材研究も必要です。実習校の先生方と話す時間も必要です。生徒と関わる時間も大切です。
その中で、実習簿をきれいに整えるための作業が増えると、当然どこかの時間が削られます。
私の場合も、実習簿を書くために残る時間が増えました。実習校にいる時間だけで終わらず、帰宅後にも実習簿や指導案、教材準備に追われることがありました。授業参観のたびにその場でのメモとあとからの清書が二重で発生するため、実習全体を通じてこの作業の積み重ねは小さくありませんでした。
その結果、次のような悪影響が出ていたと感じます。
- 授業参観中に、観察よりも記入形式を気にしてしまう
- 授業後に、生徒や先生と話す時間が減る
- 指導教員と相談する時間が圧迫される
- 研究授業の指導案や教材研究に使える時間が減る
- 実習簿を清書するために、実習後の作業時間が増える
もちろん、実習簿を書くことも教育実習の一部です。
しかし、実習簿を書くために、教育実習でしかできない活動が削られているのであれば、その運用は見直す必要があると思います。
完璧な実習簿がほしいのか、現場で学ばせたいのか
私が言いたいことは一つだけです。
教育実習は、完璧な実習簿を作るためのものなのでしょうか。
それとも、現場でしかできない経験を通して、教師になるために学ぶ場なのでしょうか。
もちろん、実習簿を雑に書いてよいという話ではありません。記録を残す以上、読み手に伝わる形で書くことは必要です。自分の学びを整理するためにも、一定の丁寧さは求められると思います。
ただ、形式を整えることが目的化してしまうと、教育実習の中心がずれてしまいます。
教育実習で本当に見たいのは、訂正印の少ない実習簿なのでしょうか。清書されたきれいな文字なのでしょうか。それとも、実習生が現場で何を見て、何を考え、どのように成長しようとしているのかなのでしょうか。
もし後者が大切なのであれば、実習簿の形式も、それを支えるものであるべきです。
少なくとも、実習生が実習簿を整えるために、現場での観察、対話、準備、振り返りの時間を失っているなら、それは教育実習の目的と合っていないと思います。
改善案:デジタル化か、せめてシャープペンシルの使用を
現実的な改善案としては、まず実習簿をデジタル形式で記入できるようにしてほしいです。
デジタルであれば、授業参観中に記録した内容をあとから整理できます。誤字や表現の修正も容易です。指導教員のコメントや確認も、紙より効率化できる部分があると思います。
実際に調べてみると、実習簿や実習日誌のデジタル化は、すでに一部の大学で行われています。
- 上越教育大学では、実習記録簿や評価票等を電子化し、学生・実習校・大学の三者間で情報やメッセージをやり取りできる教育実習支援システムを導入しています。
- 東京学芸大学では、教育実習日誌を電子的に扱い、実習の記録や指導・支援の記録を集約する「教育実習日誌eポートフォリオ」の取り組みがあります。
- 北海道教育大学では、Google Classroomやスプレッドシートを使った教育実習記録の電子化マニュアルがあり、実習校から端末を借りられない場合に私物のPCやタブレットを使う運用も示されています。
- 愛知大学では、教育実習記録の一部をWordデータで作成できるようにしています。
つまり、実習簿のデジタル化は、単なる理想論ではありません。すでに全面的なシステム化から、一部の様式だけをWordで作成できる部分的な電子化まで、複数の形で実例があります。
それでも、少なくとも「実習簿は必ず紙に手書きで、しかもボールペンで」という運用が、教育実習の学びを支える最適な方法だとは思えません。
もしすぐにデジタル化が難しいのであれば、せめてシャープペンシルでの記入を認めてほしいです。
授業参観の記録は、あとから修正されることが前提の記録です。授業は動的に進みます。板書も発問も生徒の反応も、実際にその場で変化します。
その記録を、最初からボールペンで完成形として書かせる必要が本当にあるのでしょうか。
シャープペンシルで書けるだけでも、実習生は訂正印や清書に意識を取られにくくなります。その分、授業そのものを見ることに集中できます。
おわりに
教育実習には大きな意味があります。実際に授業を見て、生徒と関わり、指導教員から助言を受け、自分で授業を作ってみる経験は、教職課程の中でも特に重要だと思います。
だからこそ、実習簿の形式によって、その学びが妨げられてはいけないと思います。記録は学びを支えるためのものであって、記録を完成させること自体が目的になるべきではありません。
個人的には、まずデジタル形式での記入を認めてほしいです。それが難しければ、せめてシャープペンシルでの記入からでも始めてほしいと思います。現場で見て、考えて、悩んで成長する時間が確保されてこそ、教育実習の意義が生きると思います。
